発言者の振る舞い

発言を向ける相手の多い少ないにかかわらず公(おおやけ)の場で発言する以上は賛否両論あるのを覚悟しなければなりません。当たり前の話ですが肯定的な意見は気分良いものですが、否定的、批判的な意見ってのは際限無く毒に富んでいます。文章の中の一部を取り上げて筆者の全人格までを否定するなんてのはざらですし、それ以上の攻撃性で噛み付いてくる…なんてのもありますから、発言者は余程の覚悟がいるわけです。同時に自分の発言で意識的にしろ意識せずにせよ、誰かを傷つけてしまっていることがあることも認識していないといけません。自信がある!って言うさり気ない一言でも鼻につく自慢にしか聞こえないってことも良くあります。僕はたまに相手を傷つける文章を確信犯的に書きます。そこには自分なりに必然性を感じていて、当然自分の発言には重い重〜い責任が生じるの覚悟の上のわけです。相手は傷つくだろうし、逆に自分も傷つけられるのも承知のうえだったりします。誤解を恐れずに言うと、こうした振る舞いをけっこう潔いと思ってまして(笑)。回りを見渡して見ると相手を傷つけないように…とか言って当たり障りの無い
意見で語る人は多いでしょうし日常を無難に乗り切るにはこれが一番なんでしょう。大切な人間付き合いの方法なんだと思いますが、本当に相手を思う事なのでしょうか……上手く表現出来ないけど僕らはそれをやったら駄目なんです。これ言ったら傷つけちゃうから…誤解されて恨まれても嫌だし…そう思うよね。自分のテリトリーで音楽プロデュース的に言うと、リハーサルやレコーディングの時にリズム感が少しだけ揺れる…ピッチがわずかにずれて…ヴィブラートの際の音程が…コーラスバランスがフラット気味…こうした問題がある時に妥協出来ないものはしちゃいけないし完全に見込みの無い駄目なモノに対して「あと少し頑張ってみましょうか」とか言ったら、やっぱりいけないんだよね。納得しきれない作品を作っちまうのはいけません。自分自身が本当に作品に入り込んでいかなければなりません…それが出来ていない作品を人に聴かせたらいけないんだよね。人が聴いて、「あれ?!」っていうような拙い曲も有るけど、その際にも明確な狙いとターゲットは有るんです。確信犯的にアンバランスを狙う感じですかね。全責任は負う、作品とアーティストと心中する覚悟
が無ければ曲の発表なんか出来ませんって。そこまでの覚悟が有って意見してくるならば是非とも語り合いましょう。