72 かみさま

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目が見えることを幸せだと思ったのは、目が見えなくなったらどうしようと、考えたからで。別段、気にも留めないことが、突然色鮮やかに五感を刺激し、ああ、そういえば私幸せだなあ、と当たり前のことを思い出します。

どうして、こんなに心惹かれるんだろうと、大自然が織り成す造形美に人々は心を持っていかれます。人の創ったものにも、グッときますが、いかんせん空の青さには敵いません。向かうところ敵無しです。

私は父ゆずりの、ど近眼です。さらには乱視という付加価値もセットでついてきました。全く記憶はありませんが、未熟児網膜症だったようで、8割方失明すると、お医者さんに宣告されていたようです。根性で残りの2割に滑り込んだようで、眼鏡で生活できるくらいには視力が健在です。

持っている眼鏡は薄型レンズのくせに、牛乳瓶の蓋みたいな厚さを誇りますが、それでも私は何不自由なく、文字を書けるし、絵も描けるし、日常に転がる当たり前の景色を見れます。もちろん、あなたの笑顔もね。

それがどれだけ素晴らしいことか、いつも忘れそうになるけれど、空を見上げるたびに思い出します。ああ、見えるって幸せ!私幸せ!かみさま、あざーっす!

まさに、こんなノリで、空の青さを噛み締めております。

あと、乱視の方しか共感してもらえないかもしれませんが、裸眼の乱視の状態で夜の街を歩くと、街灯の明かりが50個くらい分裂するんですね。

……これがまた、きれいなんですよ。笑

一つしか明かりがないのに、そのたった一つが縦にも横にも重なり合いながら広がって、視界がえらいことになります。幻想的です。

かみさま、ちょー、ありがとう。ちょー、きれいなんだけど。もっともっと色んな景色みたいんだけどー(どんなノリだ)

お粗末様でした…。